矯正治療における抜歯/非抜歯の議論について

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抜歯か非抜歯かー矯正治療における抜歯問題の是非

 矯正歯科治療を始めるにあたり、まず検査をし、歯列、歯そのもの、歯肉、顎骨の大きさと形、顎関節、咬合状態、開閉口運動など現状把握をした上で、どうすれば最も良い歯列と咬合が得られるのか、治療方針が決定される。その場合いくつかの可能性の中から、患者様のご希望、歯科医の力量、メリットとデメリットなども総合的に考慮した上で最終的な決断が下されていく。この過程が矯正診断といわれるものである。
 このときに、矯正で歯を動かす隙間を確保する目的で、現状ある歯のいくつかを抜歯した方が良いという結論に至ることがある。その割合は7-8割くらいで、むしろ一本も歯を抜歯しないでできるケースの方が圧倒的に少ないのが現状である。しかし、矯正歯科医から見ると、まことにやむを得ない結論ではあっても、抜歯を宣告された患者様のショックは矯正歯科医の想像を遙かに超えたものであると思う。多くの場合、虫歯でも歯周病でもない健康な歯を、矯正をするならいらない歯だと言われるのだから、今まで大切に守ってきた歯を、何とか抜かないで済ますことはできないか、と考えるのは至極当然のことと思われる。中にはどんなに時間と費用がかかっても良いから抜かない方法で治療するよう求められたり、いろいろ調べると”抜かないで治す矯正”というのがあるらしいからその方法で治療することを求められたりすることもある。
 しかし、そもそも”抜く矯正”と”抜かない矯正”という別々の考え方や治療方法があるわけではなく、いろいろ状況判断をしたうえで、抜歯を選択するかしないかという問題なのであって、抜歯しないでもできるはずだという患者様の考えは多くの誤解に基づいていると言わざるを得ない。
 

抜歯か非抜歯かの歴史的な論争

 ”抜く矯正”と”抜かない矯正”と別々の考え方があるわけではないと言ったものの、それは現代の矯正学の一般的な考え方であって、歴史的に見ると実は別々の考え方に支配されていた時代がある。現代においては、抜歯もやむなしとほとんどの矯正歯科医は考えているのであるが、10年周期ぐらいで”やっぱり抜歯は避けた方が良い”という考え方が亡霊のようによみがえってきて、矯正歯科学会や世間を惑わしている。この問題は、矯正学会を悩ます古くて新しい問題なのである。
 この問題の発端は、近代矯正学の父ともいえる.E.H.Angleの矯正治療に伴う抜歯に対する考え方の変節にあると言っていい。そもそも歯学部の補綴学(入れ歯の治療を研究する部門)の教授であった彼は、人工の入れ歯ではなく、人の天然の歯を正しい配列と理想的な咬合にできないかと言うことを熱心に研究し、より精密な位置づけができる機械的な矯正装置の研究に没頭する。その研究成果と治療例を紹介した教科書を7回出版しているのであるが、1903年に出版した第6版までは、治療例に多くの小臼歯抜歯ケースが紹介されており、重篤な上顎前突のケースはむしろ抜歯することを推奨している。ところが、第6版を出版した直後に、突如矯正治療における便宜的な抜歯を否定する見解に転向し、第7版の教科書からは抜歯という項目が全くなくなってしまった。当時の矯正歯科は、機械的な矯正治療に関してはアメリカが最も進んでおり、そのアメリカ矯正学会の帝王的存在であったいわゆるAngle学派は、これを教条的に受け入れて、アメリカの矯正歯科医のほとんどが矯正治療に抜歯を取り入れなくなった。
 

なぜAngleは抜歯論から非抜歯論に転向したのか

 Angleが最終的に行き着いた非抜歯論は、以下のように考えられる。人は本来完全な歯列を有する潜在的な能力を神から与えられている。したがって矯正歯科医は、神から与えられた32本の歯すべてを使って理想的な咬合を完成させなければならない。そして、正しい咬合が得られるように歯を配列すれば、それに併せて顎骨の成長を促すことができ、結果として最も美しく調和した顔の審美性も得られる。
 この理論を確実に実現するには、歯を傾斜させるような動かし方ではだめで、平行移動させるメカニズムがどうしても必要だと考えた彼は、研究を重ねついに1926年にエッジワイズ法を発明するに至る。つまり、現在我々が愛用しているエッジワイズ法という矯正治療のやり方は、Angleが自らの非抜歯論を、実際の矯正治療で実現しようとして生み出したものなのである。エッジワイズ法の説明LinkIcon 
 

Angleに対する反論

C.S.Case.jpgC.S.Case(1847-1923) M.Dewey.jpgM.Dewey(1881-1933) 当然当時からAngleに異論をはさむ者は存在した。その最強の対立者がC.S.Caseである。Case教授とAngleの指示を受けた高弟Dewey博士は、アメリカ矯正歯科学会雑誌上で激しい議論を展開することとなる(矯正歯科の帝王的存在であったAngleは、自分の説を批判する人間と同じテーブルに着くことをいやがったと考えられています)。世に言う”1911年の抜歯論争”(Extraction debate in 1911)である。当時Angle学派の絶大な権力に対して異議を唱えることは、相当の勇気と決意がいることだったと推察できるが、それでもCaseは”咬合異常の原因についての慎重な検討の結果によれば、抜歯もまたやむを得ない場合もある”と冷静に応戦した。今日の我々から見ると、Caseの主張の方が至極当然まともであるのだが、当時はAngleの方が正しいとされ、Angleが没する1930年まで、矯正治療に抜歯を取りれることは異端とされた。
 

Angle学派の抜歯論への転向

 Angleの死後、徐々にエッジワイズ法でいかに完璧に矯正治療を行っても、容貌の悪化(口元の突出)、高頻度の後戻りに多くの矯正歯科医が悩まされるようになり、そもそも非抜歯という治療方針に問題があるのではないかと考え直す人々が現れた。しかも、1925年には、”歯槽基底論”という論文が発表され、矯正治療の影響は歯を支えている骨の中に限定され、骨の根本的な大きさや形を変えることはできないという、非抜歯論者にはショッキングな研究結果も出てきた。Angleは歯の平行移動によって骨の大きさが変えられるという立場を取っており、それが非抜歯で矯正可能という根拠になっていたのであるが、その論拠を失ったわけである。
 1940年には、Angleの最後の弟子の一人であり一番弟子であったTweedが、「抜歯による矯正の再治療100症例」というタイトルの発表を、なんとアングル歯科協会(アングル学派の学会のようなもの)で発表し大騒ぎとなった。1940年にすでに多くの矯正歯科医が、すべてのケースを非抜歯で仕上げるのは無理と感じて、密かに抜歯ケースが増えていたのである。それでも尚非抜歯論が優勢だったのは、マザーアングルと呼ばれたアングル夫人がアングル歯科協会や矯正歯科界に君臨していたからだと言われている(彼女もまた矯正歯科医である)。1957年にそのアングル夫人も亡くなると、アメリカの矯正歯科界は雪崩を打って抜歯論へと転向してゆくことになる。
 そして1964年、アメリカ矯正歯科学会雑誌は、当時の編集長Polluckの卓見により、DeweyとCaseの抜歯論争を復刻版として再掲載した。「矯正治療における抜歯問題は古くて新しい貴重な論文である」との理由によるものである。
 

現在の矯正歯科学における抜歯に対する考え方

 ここまで見てきてお分かりのように、元々Angleは抜歯もやむを得ないと考えていた。アングルが非抜歯へ転向したのは、あまりにも理想が高かったのと(神の意志を実現しようというのであるから人知の及ばない理想である)、自らの最大の発明であるエッジワイズ法が万能であるという過信から生まれたように思われる。たしかに、エッジワイズ法は優れた装置である。アングルの考えた装置は今でもほとんど変わらない形で日々の治療で使われている。しかしエッジワイズ法は非常に優れた装置ではあっても、神のように万能ではなかったのである。
 矯正治療で骨の根本的な大きさは変えられない(成長発育の量と方向はある程度変えられる)ことがはっきりした以上、歯が大きすぎる、骨が小さすぎる等で、骨の大きさと歯の大きさに違いがありすぎるケースは、本数調整をせざるを得ない。矯正歯科医は、矯正の専門家である前に歯科医師であるので、歯の保存につとめる責務がある。矯正歯科的診断をするときには、まず抜かないでできないかと常に考えるのであるが、いろいろな理由から抜歯もやむを得ないという結論になることが多いのである。これは近代矯正学が始まってから長い間議論されてきたことを、毎回頭の中で再考しているようなものである。アングルの考えた理想は非常に美しい。それは神の世界を実現しようとしたのであるから。そしてそれが実現できるケースもあるのだが、そうではないケースも現実としてある、ということを矯正を希望する方々には是非理解していただきたいと思う。
 

医療に絶対はない

 「絶対に抜かない矯正」、「矯正で小臼歯抜歯をすると体が悪くなる」といったセンセーショナルな広告が良くあるが、医療に絶対はありえない。患者様の、歯はできるだけ抜きたくないという当然の心理につけ込んだ誇大広告、いわば詐欺的な宣伝と考えられる。結論としては抜歯をして矯正するメリットが、抜歯により生じるデメリットを遙かに上まわっていると考えられる場合に、矯正歯科医は抜歯をおすすめしていると言うことになる。
 ただ、どんなに長い経験がある矯正歯科医でも、全く同じケースには二度と会うことはない。経験の中で、似たようなケースの類似点をまとめ、あの場合はこうしたらうまくいった、あるいはうまくいかなかったという治療歴のデータベースの中から、それらを総合して目の前のケースを判断しているのである。当然、抜いてもできるし、抜かなくてもできそうだというボーダーラインケースもある。抜きたくない気持ちが強い場合は、あえて抜かないプランは考えられないかもう一度再考してもらっても良いと思う。それでも納得できない場合はセカンドオピニオンを取って見ても良いでしょう。
 

”熟慮の結果ならば抜歯もまたやむを得ない” C.S.Case
”最新かつ最良の装置” E.H.Angle

 ここからはあくまで推論だが、Angleが抜歯派から非抜歯派に転向した背景にはもう一つ理由があるように思う。Angleがエッジワイズ法を完成させたのは1926年であるから、抜歯か非抜歯かの論争はそれよりもだいぶ前に起きていることになる。となると、この論争が起きた当時は、エッジワイズ法ではない矯正法で治療が行われていたと言うことである。
 矯正学が発達した今日においても、不適切な矯正治療で不具合が生じたケースを時々見ることがあるのだが、そういうケースを見ると、”抜歯したことが原因でうまくいっていないのでは”と思わず感じてしまうことがままある。そういうケースをよくよく調べ直してみると、抜歯したことがいけないのではなく、その後の治療が不適切であることがわかってくるのだが、その場合多くが、専門家でない歯科医がエッジワイズ法以外の不適切な治療法を使っていたり、エッジワイズ法を使用していても正しい使い方になっていないことが原因だったりしている。
 1900年代の初めの状況とはまさにこの状態で、エッジワイズ法を使わずに抜歯を伴う矯正をすることは非常に困難であったと考えられる。エッジワイズ法は歯を3次元的に自在に配置できるほとんど唯一の画期的方法だからである。それなしにはいかにAngleが天才であったとしても、彼の思う理想の状態にはできなかったと考えられる。そこで非抜歯でも治療を可能にする切り札として、エッジワイズ法は完成したのである。つまり彼は「装置が不完全だから抜歯せざるを得なくなるのであって、それでは治療結果は不完全に終わる。装置を完璧にすれば抜歯せずに完璧な治療が可能になるはずだ」と考えたのではなかろうか。
 しかし、Angleはエッジワイズ法を完成してわずか四年後に、その真価を知ることなく他界してしまう。その後弟子たちが次々と抜歯派に転向していくのをどのように墓から見つめたのであろうか。しかし、皮肉にもAngleの嫌った抜歯を伴う矯正のやり方は、エッジワイズ法があって初めて本当の意味でうまくいくようになったのである。論争当時、”熟慮の結果ならば抜歯もまたやむを得ない”と言ったCaseの考え方は、論敵であったAngleのエッジワイズ法(最新かつ最良の装置)によって初めて正しい治療として完成させることができたのである。
 今日の矯正歯科は、Caseの思想とAngleの技術によって支えられているといえるだろう。
 
*日本矯正歯科学会専門医試験の課題症例には、少なくとも二つの抜歯症例の提示が求められています。絶対に抜かない矯正という概念はあり得ない、と言うことがこの点を見ても明らかであると考えられます。
 LinkIcon日本矯正歯科学会専門医課題症例の説明 

*全くの偶然だが、”症例”を表すCase、矯正検査の様々なレントゲン分析項目で使われる”角度”表すAngle、矯正歯科医は常にこの二人に見守られながら治療しているようである。


参考文献
 
福原達郎:歯科矯正学入門 医歯薬出版 1995 ISBN4-263-45274-7
福原達郎:歯科矯正がよくわかる本 主婦の友社 2006 ISBN4-07-249389-9
Dewel, B.F.:The Case-Dewey-Cryer extraction debate; A commentary. Am.J.Orthod.,50:862-865, 1964
Polluck, H.C:Extraction debate of 1911 by Case, Dewey and Cryer. Introduction. Am.J.orthod.,50:656-657, 1964