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日本矯正歯科専門医名鑑 
Japan Super Orthodontists
 

日本矯正歯科専門医名鑑制作委員会

 

 


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日本矯正歯科学会専門医課題症例(第5症例) 

 
カテゴリー:  ClassⅢ malocclusion(非抜歯症例)

出題基準:大臼歯関係がclass Ⅲで、少なくとも前歯部が反対咬合または切端咬合で、ANB 0度以下が望ましい。
 
出題の意味:大臼歯関係がclass Ⅲというのは、下の奥歯が上に対して前にズレていることを示す。ANBとは上下の顎の位置関係を示す数値で、通常は3度くらい。数値が大きいと上顎前突の傾向があり、逆に小さいと下顎前突の傾向がある。条件的にはよく見られる反対咬合のケースなのだが、治療方法を非抜歯に限定しているところに難しさがある。日本人の反対咬合は多くの場合凸凹もひどいことが多いので、抜歯治療を選択する可能性が高い。したがって、非抜歯で治せる条件としては、上の前歯が内側に傾斜しているために反対咬合になっていると判断できて、矯正で上の歯を外に出して問題ないケースで、下の配列には凸凹がほとんどないものと言うことになるが、そういう好条件に恵まれているケースはあまりない。ケースに恵まれば、治療自体はそんなに困難ではないが、長い経験がないとケース的には恵まれないかもしれない。
 

初診時




主訴:“前歯の噛み合わせが逆なので上の歯が外側にくるようにしてほしい”

現病歴:特記事項はない。

家族歴:妹も反対咬合だが矯正歴はない。

顔貌所見:側面タイプはコンケーブタイプ(中顔面に陥凹感があるタイプのこと)で、オトガイ部(下顎の先端のこと)に突出感がある。上唇はEラインの内側にあるが、下唇は少しオーバーしていた。正面像には特に問題なかった。

頭部X線規格写真所見:
側面(Skeletal PatternおよびDenture Pattern):SNAは標準的であるが、SNBは83.4と大きく、ANBは-2.0、Witsの評価も-6mmと、明らかに骨格性反対咬合ではある。ただし上顎前歯歯軸は唇側傾斜気味であるが、下顎前歯は平均的で、デンタルコンペンセーションは顕著ではなかった。Eラインを基準として口唇の突出度を評価すると、上唇で-2mm、下唇で+2mmで、側面の軟組織プロファイルは前歯の咬合状態をそのまま反映していた。

*デンタルコンペンセーション(歯性補償)とは、骨格性反対咬合において上顎前歯は外向きになり、下顎前歯は内向きになり、何とか先端同士が接触しようとする傾斜が起きていることを言う。この影響で、骨格性反対咬合は、一見前歯の位置があまりズレいていないことが多いので、患者様やご家族はあまり深刻な症状とは考えていないことも多い。デンタルコンペンセーションが強いケースは、骨格的なズレが大きく困難なケースが多い。

その他の所見
 下顎前歯部には軽度の咬耗がみられる。下顎を最後退位に誘導すると、切端咬合位をとることができる。口腔内の清掃状態は良好で本人の治療に対する意識は高かった。

*自力で切端咬合位を取れるかどうかは非常に重要な所見で、出来る場合は矯正だけで改善できる可能性が高く、出来ない場合は、成長期ならばより積極的な成長コントロールが必要であり、成人の場合は外科矯正が検討される。

診断(プロブレムリスト):
 1 前歯部反対咬合を伴う軽度の骨格性下顎前突、アングルⅢ級叢生症例。
 2. 下顎過成長

治療中


治療に使用した装置(左から)
・マルチブラケット装置・リンガルアーチ(複式弾線付)

治療方針:
 1 上顎前歯の唇側傾斜により叢生解消のためのスペースの獲得と、オーバージェットの増加を図る。
 2 下顎第三大臼歯は左右とも抜歯とし、Ⅲ級ゴムを継続使用し下顎歯列の遠心移動を図る。

治療経過と使用装置:
 まず最初に下顎左右第三大臼歯を抜歯した後、上顎第一大臼歯を固定源とするリンガルアーチを装着、上顎前歯部を複式弾線にて唇側へ傾斜移動させつつ、下顎はマルチブラケット装置にてレベリングを開始した。2か月後、咬合が挙上し上顎前歯部にブラケットが付けられる状態になったので、上顎もマルチブラケット装置を装着し、リンガルアーチは撤去した。その後Ⅲ級ゴムを併用しつつマルチブラケット法を継続、15か月後アイディアルアーチ装着後もⅢ級ゴムを継続して咬合の安定化を図り、33か月後マルチブラケット法を終了した。なお、治療中に上顎左右第三大臼歯の状態が悪化したため抜歯している。

マルチブラケット終了時




保定【保定装置の種類,使用状況,智歯の処理など】:
 上顎Begg、下顎Hawleyタイプのリテーナーを原則24時間使用を指示、協力状態は良好である。現在治療後20か月を経過しているが今のところ全く後戻りもなく経過良好である。なおオーバーバイトは少しずつ深くなる傾向が見られ前歯部反対咬合が後戻りするような状態ではないので、1年経過後からは半日使用に移行している。

治療結果:
 本症例は、軽度とはいえ下顎過成長による骨格性下顎前突症であることは明らかである。しかも成人症例であり、矯正で顎骨の大きさと形があまり変化させられない以上、上下の前歯歯軸の変化で症状の改善を図ることになった。したがってU1-SNは117.3と平均値よりかなり大きくなってしまったが、下顎前歯歯軸は平均値内に収まっていた。重ね合わせによると上顎前歯を唇側移動させた反動で、上顎大臼歯が少しだけ遠心移動していたが、長期間継続したⅢ級ゴムの効果で、下顎歯列全体が遠心に移動していた。それに伴い下顎正中縫合部の形態も、わずかに舌側へ傾斜する結果となった。前歯の移動に伴い、上唇点は持ち上がり下唇点は後方移動する結果となり、側貌プロファイルも改善した。

治療前後の比較


パノラマエックス線写真(左:治療前、右:治療後)


側面頭部エックス線規格写真(左:治療前、右:治療後)


透視図の重ね合わせ(黒:治療前、赤:治療後)

左:側面頭部エックス線規格写真の重ね合わせ
中:上顎骨上の重ね合わせ
右:下顎骨上の重ね合わせ

考察:
 本症例は骨格性下顎前突症であるので、本人の主訴次第では外科矯正となることも十分考えられたのであるが、顔の外形に対する希望はなく、前歯部の被蓋関係に対する変化のみの希望だったため非外科での治療となった。下顎はスペースディスクレパンシーがほとんどなく、上顎のディスクレパンシーは、前歯を前方拡大すれば解消する程度の分量だった。デンタルコンペンセーションも顕著ではなくオーバーバイトも大きいことから、上顎前歯歯軸が平均よりも大きくなることが許容できれば、非抜歯での被蓋改善、個性正常咬合の確立は可能と考え非抜歯での治療となった。
 上顎前歯部の前方拡大は、比較的早期に達成することができたが、下顎歯列全体を遠心に移動させることはなかなか容易ではなかった。Ⅲ級ゴムを併用する期間が2年以上におよび治療期間が長くなったところは反省すべき点である。
 骨格性反対咬合の症例としては元々プロファイルはそれほど悪くなかったが、非抜歯治療なので変化はあまり期待していなかった。しかし実際には後退していた上唇点は高く、出ていた下唇点は低くなったためプロファイルの良好な変化も得ることができた。


取材協力:矯正歯科:洗足スクエア歯科医院(東京都目黒区洗足)
解説:小澤浩之 先生(日本矯正歯科学会専門医)